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Supersonic transport

航空技術の進化が目覚ましい時代が「音速の壁を超えた時代」。

それは1950年代、まさにMid Century。


超音速で飛行するためには、速度の2乗に比例して増加する抗力をできるだけ低減する必要があるとともに、巡航速度に到達する前、音速付近のマッハ約0.8から1.2程度にかけての速度域(遷音速)で急に大きくなる抗力係数も低減しなくてはいけない。


遷音速での抗力係数は衝撃波を作るために費やされる造波抗力も加わるために、高亜音速域(マッハ0.8程度で、遷音速域に入る直前)の場合の3倍以上にもなる。


しかし、遷音速を超えると抗力係数は減少に転じ、マッハ2を大きく超える領域での航続率は高亜音速でのそれとほぼ同等。


ここで一般の旅客機で用いられるような横に広い翼平面形翼型を持ったで超音速飛行を行うと、翼に発生する揚力は大きく減少し、抗力は格段に増大する。


通常形の翼では、マッハ2の速度において、衝撃波の影響によりその揚力の半分ほどが失われ、効率の指標である揚抗比(揚力÷抗力)の点で判断すると、超音速航行による燃費向上はほとんどないことになる。


このため黎明期には、超音速での巡航をなるべく効率的に維持し、なおかつ低速の離着陸時においても充分な揚力を発生する翼平面形の研究に多くの労力が傾けられ、超音速輸送機の翼平面形研究のためだけの実験機も製作された。


1950年代に、超音速輸送機の概念は技術的には可能と思われていたが、経済的に可能かどうかははっきりはしなかった。


燃費が多くかかる超音速による商業飛行も、少なくとも中距離から長距離の飛行に関しては採算が取れるように思われた。


燃費以外の面では、既存の亜音速航空機の3倍の速度で航行することで航空会社の保有機数が3分の1で済むことになり、人件費と整備費の低減が期待された。


なお、超音速輸送機の速度では既存の航空機と比較して高度が上がらず、衝撃波地上への影響が大きいため陸上の超音速飛行に大きな制限がかかる。


衝撃波地上への影響は、更に高速で成層圏を飛行する極超音速輸送機で解決する見通しである。


第一世代の超音速戦闘機が普及し始めた1950年代中期より、SSTの本格的な研究が開始された。


シュド・アビアシオン社のシュペル・カラベルブリストル社の223型機などのデルタ翼機が、各国政府の助成を受けて研究された。


ほかに、アームストロング・ホイットワース社のM字翼機などが研究されていた。こうした会社の研究は、1960年代初期までに実機製作が可能な状態まで進展。


また、1962年にコスト要因もあってシュド案とブリストル案は統合され、英仏共同開発のコンコルドの製作へと至る。


アメリカのSST研究が停滞している間もコンコルドの開発は続けられており、1969年に初飛行を行い、1976年から商業飛行を開始。


ヨーロッパからニューヨークへの乗り入れは、市民のソニックブームの影響に対する抗議のため、先にワシントンへ乗り入れることとなった。


ワシントン線の運航が好評であったため、すぐにニューヨーク線も開設されることとなった。なお、ソニックブームの影響をなくすために、超音速航行を行うのは洋上のみ。


コンコルドの商業飛行が開始されると、アメリカの世論は1960年代とは一変し、AST(先進超音速輸送機 Advanced Supersonic Transport)の名の下に再度、ロッキードSCVなどが計画され始めた。


しかし、すでにSSTの経済概念は時代遅れとなり、SSTは80-100名の乗客を乗せた亜音速の長距離輸送機を代替するために考案されたが、ボーイング747の様な400名以上を乗せる事ができる大型旅客機には経済性で全く敵わなかった。


ボーイング747(の旅客型)は、超音速旅客機実用化後は貨物機に転用できる、というコンセプトが顧客である航空会社への訴求点のひとつだったことは、今日ではほぼ忘れられつつあるその初期のエピソードである。


SUGANOは、Boeing747-400機内パーツを製造。これらAEROCRAFT Technorogyを纏った作品群がAEROCONCEPT だ。


2022年の第2弾となるExcellent Model を今回さらに追加する。


Super transporter with Fall'n Love Double Locks.


このOderの受け付けを開始。

Slimporterへの変更も可能だ。


SUGANOのこだわりが集積した作品が今ここにある。


出典:WIKIPEDIA



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