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Mid century of America

新たな時代の幕開けとなるMid century。職人がうまれた時代だからこそ、そのルーツは意味深い。


パン・アメリカンは1940年代後半にかけて、ダグラス DC-6型機やロッキード コンステレーション、ボーイング377「ストラトクルーザー」型機などの最新鋭機を次々に導入、他社に先駆けて大西洋無着陸横断路線を開設するなど、航空機の技術革新を背景に再び世界中にその路線を拡大。


アジアで唯一の先進国で政治的に安定している民主主義国日本。


以遠権がある上に高度経済成長下で外国からのビジネス訪問客が増加していた日本の東京国際空港ハブ空港にして、大阪国際空港などの日本国内や香港、中華民国やフィリピン南ベトナムインドネシアなどのアジア域内、グアム路線などのアジア太平洋地域への乗り継ぎ便を、1940年代後半から1960年代前半にかけて開拓。


スエズ運河の東方における最大のハブの東京では、整備や客室乗務員営業マーケティングなどの数百人の従業員を雇用したのみならず、大田区内に自社専用の機内食工場を構えるという大所帯であった。


同時期のヨーロッパにおいては、ロンドンフランクフルトハブ空港に、イタリアスイスオランダベルギーデンマークスウェーデンソビエト連邦トルコなどのヨーロッパ域内の乗り継ぎ便を運航。


ヨーロッパのハブのロンドンやフランクフルトでも東京と同様の体制を取った。


さらに、第二次世界大戦終結後に西ドイツ東ドイツに分断されたドイツにおいて、西ドイツの東ドイツ内の飛び地となった西ベルリンと西ドイツ各都市の間の便を運航するなど(同路線は西ドイツの航空会社は運航できなかった)、以遠権や戦勝国の1国としての権益をフルに使った域内国際線の運航も活発に。


トランスワールド航空などのアメリカの航空会社のみならず、日本航空やルフトハンザドイツ航空KLMオランダ航空などの諸外国のライバル会社に先立ってボーイング707を導入したことから、これらのライバル会社がボーイング707やダグラスDC-8を導入するまでの約1年間は、これらのライバル会社は大打撃をこうむることになる。


世界の航空業界をリードしていたパンアメリカン航空が、ボーイング707やダグラスDC-8などの、既存のプロペラ機の倍以上の旅客を倍近い速度で運ぶ大型ジェット機を大量就航させたことにより、世界各国における旅客機のジェット化を推進させただけでなく、1960年代初めまで大西洋横断路線における最大のシェアを持っていた定期客船の時代に終止符を打つ役目を果たすこととなる。


これまでの機材の倍以上の乗客数を持つボーイング707型機とダグラスDC-8型機の就航に合わせて、1960年に本拠地のニューヨークのアイドルワイルド空港に、巨大なパンアメリカン航空専用ターミナルビル「ワールドポート」を竣工し同年5月24日から供用を開始。


同ターミナルビルは、ベツレヘム・スチールなどの全面的な協力を受けて建設され、乗客及び貨物の処理能力を既存のターミナルビルに比べて格段に拡大させ、またボーイング707/ダグラスDC-8サイズの機種を6機同時駐機した上で、雨天でも乗客が濡れることなく乗降できるほか、複数のレストランバーラウンジを備えた大規模なものであり「New Jet Age Terminal」と称された。


「パンナム・ワールドポート」の供用開始に次いで、1963年3月7日にはマンハッタンのランドマークの一つとなる、世界一高い商業オフィスビルであった巨大な本社ビル「パンナムビル」が竣工。


さらにパンナムビルの屋上のヘリポートからアイドルワイルド空港までのヘリコプターの運航、世界初のビジネスクラスである「クリッパー・クラス」の導入、超音速旅客機であるアエロスパシアルコンコルドボーイング2707型機の発注(その後両機に対する発注はキャンセルされた)など話題に事欠かなかった。


以降の時代は皆が体験する時代となる。


国際競走を呈した経済活動は、まさに皆が体験した現在まで及ぶ。


ご婦人方も安心して海外旅行を楽しめる時代が到来。


初めて見る・体験する時代のなかで大量消費・大量輸送の時代に個性を大切にするよりかは、皆一緒であることの方が大切なイメージの時代に。


2022年の時代は、インターネットを通じて世界を体験できるまで環境は激変。このような中で、「個性を大切にすべき時代が到来」している。


職人の思いは、AEROCONCEPTを通じてこのことの大切さを伝えていきたいと思うばかり。


出典:WIKIPEDIA



Photographer : Kei SUGANO


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