McDonnell Douglas
航空機メーカーで印象的なフロダクターがいる。James Smith McDonnellとDonald Wills Douglasの二人だ。
両者ともマサチューセッツ工科大学出身でグレン・L・マーティンに勤務していた経歴を持つ。ダグラスはマーチンでチーフエンジニアを務めていたが、1920年にマーチンを去ってロサンゼルスでデービス・ダグラス社を設立。
1921年には共同出資者から事業を買い取って社名をダグラス・エアクラフトに変更した。
マクドネルは1928年にウィスコンシン州ミルウォーキーに J.S. マクドネル・アンド・アソシエーツを設立。
自家用小型飛行機の生産をもくろんでいたが、1929年の恐慌で計画は破綻して会社は倒産。その後マーチンで働くこととなったが、1938年にマーチンを去ってミズーリ州セントルイス近郊にマクドネル・エアクラフトを設立して再起を図った。
第二次世界大戦の需要でダグラス社は成長することとなる。
1942年から1945年までに3万機近くの航空機を生産し、従業員は16万人に膨れ上がった。大戦中の主な製品には C-47 スカイトレイン(DC-3 の軍用輸送機型)、DB-7 ボストン(A-20 ハボック)、SBD ドーントレス、A-26 インベーダー、DC-4などがある。
アメリカ陸軍航空軍のシンクタンクも設立し、これは後にランド研究所となる。
しかし、戦争が終結すると両社も政府受注の終結と余剰機体の処理に苦しみ、特にダグラスは10万人近くの人員を削減。
戦後もダグラスは新型機の開発を続け、1946年には傑作機 DC-6 を、1953年には最後のレシプロ旅客機となる DC-7 を送り出す。またジェット機生産にも乗り出して1948年には F3D スカイナイト、1951年にはより本格的なジェット機 F4D スカイレイを海軍向けに製造した。
同時に民間ジェット機の製造も始め、1958年にはボーイング707に対抗してDC-8の製造を開始し、その後短中距離用ジェット機のDC-9の製造も開始。
マクドネルもジェット機の開発を進めていたが、当時は比較的小規模な会社だったことが幸いして思い切った航空機設計を行うことができた。
その結果 FH-1 ファントムが誕生し、続く F2H バンシー、F3H デーモンとともに海軍御用達の戦闘機メーカーとなるきっかけをつかむ。朝鮮戦争後マクドネルは主要戦闘機メーカーとしての地位を確保し、1958年には傑作機として有名な F-4 ファントムIIを送り出す。
アメリカン航空やユナイテッド航空などからの大型機ジェット旅客機の要求に対応するために、1960年代中盤にマクドネル・ダグラスにとって初のワイドボディ旅客機であるDC-10の開発を開始。
同機はロッキード L-1011トライスターとの激しい販売競争の中、ルイスは精力的にDC-10を売り込み、2年で経営を軌道に乗せて黒字化。
ルイスはセントルイスの本社に戻り、1981年まで社長兼最高執行責任者として会社を率いるかたわら DC-10 の販売も続けた。
DC-10 は1968年に製造が始まり、1971年に最初の引渡しがなされ、設計不良によるトルコ航空DC-10パリ墜落事故やその設計不良のもみ消し工作の発覚そしてオイルショックの影響を受けながらも、その販売は順調に推移。
1977年にはDC-9を長胴化したスーパー80シリーズ(後にMD-80シリーズの型番が与えられた)が発売されて、世界各国の航空会社からの発注を受けて大成功する。
軍用機分野では F-15 イーグル(1974年)、F/A-18 ホーネット(1975年)、ハープーンミサイル、トマホークミサイルその他を送り出して成功する。
特にF-15はアメリカだけでなくイスラエルや日本などの当時の西側諸国でも主力戦闘機として大量発注され、その多くが現在も使用されている。
1990年代に入って東西冷戦が終結したことにより、湾岸戦争などの一時的な特需があったものの、民間機と並ぶ企業の屋台骨であった軍需の発注が減り続けた。そしてF-15の後継機開発計画である先進戦術戦闘機計画において、書類選考で落選してしまう。
窮地に陥ったマクドネル・ダグラスは、中国で上海航空機製造と提携して海外初の製造工場をつくったが[、それが失敗して凋落を決定付けた。
ボーイングは1996年にロックウェル・インターナショナル傘下のノースアメリカンを買収し、翌年には130億ドルの株式交換でマクドネル・ダグラスを買収して吸収し、ザ・ボーイング・カンパニー (The Boeing Company) が発足。
マクドネル・ダグラス社名での航空機販売は1998年で終了し、以降はボーイングが販売した。なお、MD-11はボーイングと合併後2001年にボーイング777との競合を避けるために製造が終了。
MD-90シリーズは、合併時に開発中だったMD-95が「ボーイング717」と改名されて開発が継続され、2006年まで製造された。
旧ダグラス社から引き継いだ「球体(地球)を回るミサイルと航空機」を図案化したマクドネル・ダグラスのCIは、多少のアレンジを経つつも、ボーイングがCIとして現在も使用している。
出典:WIKIPEDIA



