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Claudius Dornier

Claudius Dornierはドイツの航空技術者バイエルンで生まれ、ミュンヘン工科大学を卒業。ツェッペリン飛行船会社に入り、後にツェッペリン飛行船会社から独立したツェッペリン・ヴェルケ・リンダウ社で、飛行艇の開発に従事した。


ドルニエDo Xの設計者として有名。Dornier Do Xドイツドルニエ社の製造した旅客輸送飛行艇旅客機)。飛行船による大西洋航路の旅客輸送に代わる「空の豪華客船」として開発された当時世界最大の重航空機


1930年当初の時代は郵便専用飛行機が全盛の時代に世界で初めて旅客機を仕上げたのはドイツ。


機体はフルハンドメイドで仕上げられ、航空機の製造技術確立がされた時代。


3機が製造され、うち2機はイタリアからの発注であった。機内にはダイニングルーム、寝室、喫煙ラウンジ、バー、高級カーペットを敷きつめた中央サロン等を備えていた。


当初は、シーメンス社がライセンス生産した525馬力を発揮するブリストル ジュピター空冷星型9気筒エンジンを装備していたが、出力不足が判明したうえに、後列の冷却不良が発生したために後に水冷V型12気筒610馬力のカーチス製コンカラーに換装された。


12基のエンジンは2基一組で流線型ナセルに収められ、各エンジンは補助翼で結ばれていたため機関士は飛行中でもエンジン関係の作業を行うことができた。と言うよりは、冷却や点火のばらつきなどから、12基のエンジンの調子をそろえることが難しく、飛行中も付きっきりで調整を行う必要があった、というのが真相の様である。


エンジンの出力不足から500 m以上への上昇は困難で、低高度飛行を余儀なくされた。


乗員10名、正規の乗客150名、密航者9名、合わせて169名を乗せてのデモフライトは評判を呼んだ。


当時は難しかった大西洋横断飛行も行なったが、故障や不調続出で片道9ヶ月かかり、しかも到着先のニューヨークでは修理に7ヶ月を要するなど問題点が多く、イタリア以外の航空会社から注文を受けることは無かった。


後にベルリンの航空輸送博物館に収蔵されたが、1945年空襲により破壊され、現存しない。


2022年においてもAERO CONCEPTがこの技術を生き生きと継承している。

SUGANOと一緒に悠久の時に思いを馳せてみようではないか。


出典 : Wikipedia



Photographer : Ralph Entwurf




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