Bernard Charles "Bernie" Ecclestone

バーナード・チャールズ “バーニー”・エクレストンは、イギリスサフォーク州イプスウィッチ出身の実業家で元レーシングドライバー


ブラバムのオーナーとともにフォーミュラ・ワン・コンストラクターズ・アソシエーション (FOCA) 会長をつとめ、フォーミュラワン・マネージメント(Formula One Management)、フォーミュラワン・アドミニストレーション(Formula One Administration)を核とするF1運営組織(フォーミュラワン・グループ)のCEO


テレビ放映権をはじめとするF1の商業面を統括し、その多大な影響力からF1 Supremo(F1界の支配者)、ミスターEと呼ばれた。


1970年代始め、ブラバム、ロータス、マクラーレンティレルマーチらイギリスの独立系コンストラクターは互助組織としてF1CA(Formula 1 Constructors Association)を結成していたが、その機能は脆弱で、ブラバムの新オーナーに就いたバーニーはビジネス経験を活かして各国レース興業者とのギャランティー交渉などを請負い、コーリン・チャップマンテディ・メイヤーケン・ティレルらオーナー仲間の信頼をえる。


1974年、F1CAはFOCA(Formula One Constructors Association)に発展し、選手権の規模拡大を推進する。


エクレストンは1978年にFOCA会長に就任し、マーチ創設者の一人であるマックス・モズレーをアドバイザーとして、F1の運営全体にまで影響を与えるようになる。


この動きに対抗し、国際自動車連盟(FIA)の一部はジャン=マリー・バレストル会長以下国際自動車スポーツ連盟(FISA)を結成。


両者の激しい対立は「FISA-FOCA戦争」と呼ばれ、バレストルとエクレストンの権力闘争の様相も呈した。


1981年、両陣営は和解案としてコンコルド協定を締結し、FOCAはF1の商業権を委託されることになる。


その後エクレストンはFIA副会長(プロモーション担当)を兼任。


FOCAから距離をとり、自身の興業会社FOPA(Formula One Promotions and Administration)を設立。


テレビ放映権料の23%と興行権料のすべてを得ることになる(テレビ放映権料の47%はチーム、30%はFIAへ分配)。


1993年にはバレストルに代わってモズレーがFIA会長に就任し、FOCA時代のコンビがF1を仕切ることになる。


そんな彼にイタリアCAR DesignのオーナーがAERO CONCEPTを贈った。気に入って頂き、常に彼の傍にAERO CONCEPTがあったと聞いていた。


SUGANOにとって忘れることのない思い出となった。


画像出典:イタリア CONPACT 社

記事出典:ウィキペディア

閲覧数:13回