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父との絆

度経済成長の最中、環境の変化が劇的に進む東京。

 

大気汚染・水質汚濁・自動車排気ガス増大・建設騒音・環境ホルモンなどの影響が顕著となる。

 

東京都内では、子どもたちが小児喘息を多数発症。

苦しむ姿が社会問題に。

 

学生運動も活発な時代で闘争の傍らで、催涙ガスもよく都内に流れていた。

 

カブトムシは三越・高島屋で購入することが当たり前となる時代。

 

自然な佇まいの東京は極めて少なかった。

 

そのような時代に、社業に励む父が東京育ちの四歳の我が息子に体験させたレジャーがSkiだった。

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赤倉温泉のスキー場でのスナップ

 

 

雪景色の眩い景色に少年は、大きく心を弾ませた。

 

日常生活との大きな違いは、父と一緒に遊べるだけでなく、雪上の体験は転んでも転んでもまた転びたくなる楽しさが忘れられなくなった。

 

四季の中で、冬の季節は叙情的で、全てが白銀の世界。すぐにスキーの虜になった。

 

当時はストックは竹、スキー板は木製の時代。

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父が教えたスキーの体験は、この後、彼の青春で大きな体験へと展開していく。まさに父との絆となった。

 

日本国内で多くの大会にチャレンジすることとなる。

 

そのころ、世界的に有名なフランスロッシンニョールのスキーアイテムを使いこなすまでの実力に。

 

スキーアイテムはこの時代には劇的な進化を遂げる。

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スキー板やブーツなどのスキー道具は常に進化し,ほぼ毎年新モデルがリリース。

 

その中でも スキー板の進化は他の道具に比べてとても速く,例えば10数年前の板と最新の板とは長さも形状も大きく異 なった。

 

一般ゲレンデ用では,身長よりも長い真っ直ぐなスキー板が、今では’90 年代の終わりに現れたカー ビングスキーに取って変わる。

 

トップとテールが幅広くセンターが狭まく杓文字を引き伸ば したような形状。

 

さらにロッカーの要素が採り入れられ、先端の反りが大きくなっ たものが主流になりつつある。

スキー板が進化して形状が変化すると、乗る側も板の特性に合った滑り方に変える必要が。

 

滑り方を変えずに新しい板に乗ろうとすると、板の性能を引き出せないだけではなく、暴走したり、ターン中に転倒したりする恐れが。

 

スキーに没頭するものは、まずはオフシーズンの体力作り、加えて道具の進化を常に チェック、それに適した滑り方を実践する。

 

進化した新しい板に乗る時はその板の特性を研究し、重心移動のタイミングや腰・膝の使い方を見極めながら、その板に対して最も効率の良い滑りを追求。

 

プロデモンストレーター の最新の滑りをビデオから学び、専門誌も欠かさずチェックしていた。

 

そして、1968年のグルノーブルオリンピック記念映画を見た青年はフランス・グルノーブルに長期海外遠征の決意をする。

 

この頃には、スキーアイテムのウエアー・ストック・シューズ・ビンディング・ワックスまで早く滑る上で重要なアイテムの一つ一つが有機的に機能し、異なる素材がコンポジットな繋がりでスキーヤーを支えるアイテムであることの大切さを日々体験した。

 

のちの大変革時代に彼がAEROCONCEPT制作にあたって「人が使う上であるべきアイテムのカタチ」を見い出す基本的な体験となる。

 

不況の時代に両親に愛され、夢に向かって努力したグルノーブルでの五年の日々。

 

こんな青年の体験が今のAEROCONCEPTの原点となっている。

 

今年も間もなく春が訪れる。 

わずかに残る冬をもう少し楽しもうではないか。                            2023年2月

白い恋人たち フランシス・レイ:Youtubeより

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